「好きだから、止められなかった。」
──それは、ほんとうに嘘じゃない。
心の底から「幸せ」だった時間が、たしかにあった。
けれど、その後に訪れた現実は、思っていたよりも重たかった。
通帳を見つめて、「なんでこんなことに…」と動けなくなる瞬間があった。
この記事では、そんな推し活のリアルと、そこからわたしが学んだことを正直に綴っていきます。
もしも、いまあなたが「このままで大丈夫かな」と思い始めているなら、
少しだけ手を止めて、この記録を読んでみてください。
目次
あの時のわたしが見えていなかったもの
「やばいくらい楽しかった」──
そう言い切れるくらい、推し活はわたしにとって毎日のごほうびだった。
限定グッズ、コラボカフェ、配信スパチャ、イベント遠征。
どれも全部、「推しがいる人生」に必要なピースに思えた。
でも、ふと立ち止まったときに、
財布の中も、スマホの明細も、ぜんぶ推しで埋まっていた。
幸福感と現実のズレ
推し活はたしかに幸せだった。
でもその幸せは、「わたし自身の満足感」と「現実の生活」が完全に一致していたわけではなかった。
- お金が減っていく不安に気づかないふりをした
- 欲しいから買う、ではなく「逃したくない」から買うようになった
- 自分の気持ちより、「界隈で置いていかれないか」が怖くなっていた
気づけば、「楽しんでるはずなのに、どこかで疲れている」──
そんな感情を飲み込むようになっていた。
自分の視界を狭めていたのは、ほかならぬ自分だった
誰かに強制されたわけじゃない。
すべて、自分で選んだつもりだった。
けれど実際には、感情とお金の境界線を曖昧にしたまま走っていた。
だからこそ、あとになって後悔したのは、
「好きだったこと」ではなく、気づこうとしなかったことだった。
推し活に使った金額と思考の記録
「どのくらい使ったの?」と聞かれても、すぐには答えられなかった。
というより、ちゃんと計算したくなかったのが正直なところだ。
でも、後悔のあとに残ったのは、使った金額そのものより、
「その使い方に、自分の意思がどれだけあったか」という問いだった。
気づけば消えていたお金の流れ
わたしが推し活に使っていたお金の例をあげてみる。
- イベント遠征(交通費・宿泊費):約25,000円 × 3回
- グッズ・CD・Blu-ray:1回5,000〜10,000円を月2〜3回ペース
- 配信スパチャ・有料コンテンツ:月5,000円前後
- コラボカフェ・限定アイテム:1回あたり3,000〜5,000円
- 応援広告や企画参加:1回10,000円〜
ざっと見積もっても、1年で20万〜30万円は超えていた。
その金額が、生活の中で本当に余裕のあるお金だったかと聞かれると──
答えはNOだ。
「買った瞬間」は最高。でも…
何かを買ったとき、満足感はたしかにある。
「これで推しを応援できた」「わたしも仲間になれた」と思える。
けれど、あとになって思い返すと、
その満足感は、「持っていること」より「持っていない不安を埋める」ためだった気がする。
つまり、必要というより焦りに近かったのだ。
なぜ止まらなかったのか?感情と脳の関係
「そろそろやばいかも」と思っても、
「今月は抑えよう」と決めても、
気づけば次の推しイベントにお金を入れていた。
──どうして、止まれなかったのだろう?
それは「わたしが弱いから」でも「依存体質だから」でもない。
人間の脳と感情には、そうなってしまいやすい構造がある。
ドーパミン:快感のループをつくる脳の報酬系
何かを買ったとき、「わあ、嬉しい!」という気持ちが湧く。
これはドーパミンと呼ばれる神経伝達物質が脳内で分泌されることによって生まれる。
このドーパミンは、「達成感」や「期待」を報酬として認識する。
- 限定グッズを手に入れた
- 配信にスパチャを送って名前を読んでもらえた
- リアタイ参加でみんなと繋がれた感じがした
──こうした瞬間に、脳は快感を記憶し、「またやりたい」と感じる。
快楽サイクルが止まらなくなるメカニズム
- 期待する
- 手に入れる(or 応援する)
- 満足する(ドーパミンが出る)
- また次の期待を探す
──この繰り返しが、いわゆる快楽のサイクルです。
わたしも気づかないうちに、このループの中にいて、
「推し活が生活の中心」ではなく、「推し活のために生活している」ようになっていました。
そのループを壊すのではなく、言語化する
重要なのは、
この快楽ループを「悪いこと」と責めることではなく、
「自分がどういう仕組みの中にいたか」を知ることです。
仕組みが見えると、
「これは脳の反応だ」「いまは一度立ち止まろう」と、自分の中で選択の余白が生まれる。
推し活は悪ではない。
でも、自分の感情とお金が意図せず繋がってしまうことには、
やっぱり一度、意識的に向き合う必要があるのだと思います。
後悔のあとに残った3つのこと
お金がなくなった。
手元にあるのは、グッズの山と、抜け殻のような自分。
──そう感じた瞬間は、たしかに後悔だった。
でも時間が経つにつれて、ただの後悔ではない、何かが心に残っていた。
ここでは、推しに全財産をつぎ込んだあとに、わたしの中に残った3つのことを振り返ってみます。
1. 「好きだった気持ち」は、消えなかった
まず最初に気づいたのは、
使いすぎたからといって、推しへの愛情まで消えるわけではなかったということ。
むしろ、「好きだったからこそ頑張りすぎたんだな」と思えたとき、
ようやく少しだけ、自分を許せるようになった。
後悔の中にあったのは、好きだった証拠でもあった。
2. 「自分を止められなかった理由」が見えた
使った金額も、止まれなかった理由も、
すべてを思い出して書き出してみた。
- ひとりになりたくなかった
- 何かに夢中でいたかった
- 居場所をつなぎとめたかった
そうした感情が、お金を通して形になっていたのだと思う。
つまり、推し活に使ったお金は、
「応援」だけじゃなく「自分を支える代償」でもあった。
3. 「次はこうしたい」という設計の意志
最終的に一番大きかったのは、
「今後はどうしたいか」が見えてきたことだった。
- 感情だけで動かないように、上限額を決めよう
- 応援と生活を分けて考えるようにしよう
- 推し活に加えて、もうひとつの「自分の好き」を育てていこう
後悔から得られるものは、反省だけじゃない。
それは、再設計する力を手に入れるチャンスでもあるのだ。
推し活を破綻させない3つのルール
もう後悔したくない。
でも、推し活をやめたいわけじゃない。
そう思ったときに、わたしが決めたのは「我慢」ではなく「ルール化」だった。
感情を否定するのではなく、楽しむための設計に切り替えるという発想です。
ここでは、わたし自身が再出発のために取り入れた、推し活の3つのルールを紹介します。
① 予算を決めて「ごほうび枠」にする
まず大切なのは、使っていいお金と生活に必要なお金を明確に分けること。
推し活に使うお金は、毎月の「ごほうび枠」として、最初から予算に組み込むようにしました。
- 1か月あたり:◯◯円まで
- イベントがある月:別途特別枠を設定
- クレカ払いはNG(使いすぎを防ぐ)
金額の大小ではなく、「自分がコントロールできている」感覚が、何よりも心を安定させてくれます。
② 買う理由を言語化してから購入する
「限定だから」「売り切れる前に」──
そう思ったときこそ、一度立ち止まって理由を言葉にするようにしています。
- これは、今の自分にとって本当に必要?
- 買ったあと、どんな気持ちになりそう?
- 「買わなかったらどうなるか」も想像してみる
言葉にできないもやもやを買い物で埋めようとしない。
それだけでも、ずいぶん判断が変わってきました。
③ 推し活以外の「好き」も育てておく
わたしにとって推しは、たしかに人生の光だった。
でもその光だけにすべてを預けてしまうと、自分自身のバランスが崩れてしまうこともある。
だから、推し活とは別に、もう一つ「好きなこと」や「時間をかけたいこと」を見つけるようにしました。
- 趣味(読書・ものづくり・語学など)
- 自分への投資(資格・運動・勉強)
- 将来に向けた行動(貯金・スキルアップ)
推しを応援しながら、自分自身の地盤も育てていく。
それが、推し活を長く楽しむための土台になると感じています。
まとめ|推しを本当に大切にするために、
自分自身の生活と感情も守ってください。
推し活は、喜びであり、熱であり、ときに救いでもある。
でも、そのすべてが無制限でいいわけではないことも、心のどこかではわかっていた。
後悔の先にあったのは、
「推しが悪いわけじゃない」
「わたしが弱かったわけでもない」
──という、小さな理解と、深いため息。
けれどそのあとに続いたのは、
「どうすれば、わたしはもっと上手に好きでいられたか」という問いでした。
推しを応援する気持ちは、本物です。
だからこそ、その愛情が自分自身を壊してしまわないように、
設計と視点を持って向き合ってください。
- 予算を決める
- 感情とお金の距離を言葉にする
- 自分自身の「好き」も育てる
──この3つが、わたしの再出発を支えてくれました。
「好きだから、止められなかった」
その経験が、
「好きだから、上手に応援したい」へと変わったとき、
推し活はもっと健やかで、続けられるものになると思います。






